平成最後

あと数時間で新しい元号が発表です。

「平成最後の」という言葉がよくつかわれ、小学生の子供たちは「平成最後のお願い」などと軽々しく使い困ったものです。

”平成”という額を掲げ時の小渕官房長官によって発表されたことがついこの間のような気もします。

 

3つの元号をまたぐ自分に驚いています。小学生の頃、明治・大正はとても遠いところに感じられていました。

元号だけでなく、世代の違いだからといろいろなシーンで思ったり、思われたり、みなさんもあるのではないでしょうか。

 

”援助する国される国アフリカが成長するために(服部正也著)”というエッセイでは、対話や理解を持たずして援助をしても成長にはつながらないということが書かれています。

(息子の塾のテキストで抜粋を目にしただけです~)

あるドイツ人技師が、インドにおいて、稲を一本ずつ植えるよう指導してもインド人は稲を束で飢えてしまう、意欲がないと嘆いていましたが、灌漑改良された後、自発的に稲を一本ずつ植えるようになったインド人をみて、モンスーンによって一本植えの苗は流されてしまうことを理解できていなかった自分を反省したというエピソードがあります。

 

対話と共に相互理解を深めるということが大切だとわかっていても、なかなか実際には難しいものです。

私自身も子供からのサインを見逃していて後からヒヤリとしたことが最近あったばかり。

会話をしているようでも理解できていなかった猛省しました。

一番身近な家族でも難しいのですから、外ではいうまでもありません。

子供達には常々言っている言葉、私自身も今まで以上に心がけ、「世代の違い」で済ませないようにしたいなと思っています。

息子には「相手の話を聞くだけでなく、相手が何を言いたいのかを意識して理解に努める」

娘には「言うべきことはがんばって伝えてみる」

 

どんな元号になるのかな~

 

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